ウクライナ侵攻で日々ニュースを騒がせているロシアの大統領、ウラジーミル・プーチン氏。
ネットでは「おそロシア」とも揶揄される恐怖独裁体制を確立した人物であり、20年以上政治のトップに君臨しながらも、その素顔は謎に包まれています。
今回はプーチン企画第一弾として、生い立ちから現在までの半生に迫ります。
ウラジーミル・プーチンはソ連時代の1952年10月7日、モスクワに次ぐロシア第二の都市・レニングラード(現サンクトペテルブルク)で生まれました。
兄が2人いましたが、どちらもプーチンが生まれる前には亡くなっており、3人兄弟でありながら一人っ子として育ちます。
幼少期はずる賢い子供で、本人も「悪童だった」と語るほど悪ふざけをしていたそうです。
しかし、中学生になるとスパイを志し、その後は夢を叶えるべく勉学やスポーツに邁進します。
スポーツでは、サンボ(ロシア伝統の格闘技)柔道などで才能が開花します。ソ連時代の全国大会で3位に入るほどの腕前で、柔道は八段を所有する実力者。オリンピックのソ連代表候補だったそうです。
また、勉学でも優秀な成績を発揮。猛勉強のすえ、モスクワ大学と並ぶロシアの名門大学・レニングラード大学(現サンクトペテルブルク大学)の法学部に進学します。
これらの頑張りは全てスパイになる夢を実現するためで、プーチンは中学3年生の時にKGB(ソ連国家保安委員会)を自ら訪れ、スパイになる方法を職員に聞き、その時のアドバイスに忠実に従って生きてきたそうです。
その結果、大学4年生のときにKGBにスカウトされ、晴れてスパイになる夢を叶えました。
一度決めたらてこでも動かない頑固さ、自らKGBに赴く行動力、そしてアドバイスを忠実に守る精神力が、彼の絶大な権力を作り上げていくことに繋がったのだと思います。
プーチンの故郷・サンクトペテルブルク(旧レニングラード)。綺麗な街ですね。
1975年に大学を卒業してから1991年にKGBを退職するまで、約15年間スパイとして活動したプーチン。
KGB時代は、国内防諜部門や、ベルリンの壁崩壊前の旧東ドイツでスパイとして活動しました。任務内容は、技術的な機密情報を盗み出したり、東ドイツを訪れる西側諸国の人間に接触したり、西ドイツに密入国することだったと言われています。
私たちが一般的にイメージする「スパイ」そのものですね。
その後、東西ドイツ統一を目の当たりにした彼は、地元レニングラードに戻り、母校レニングラード大学で学長補佐官として働き始めます。
この頃に、政界進出のきっかけとなる恩師・アナトリー・サプチャークと懇意になったそうです。
プーチンは約15年のスパイ生活で、出世することなくKGBを退職します。
同期の多くが将軍や大佐までのぼりつめた一方、彼は中佐どまりでした。
スパイとしては二流だったプーチンがのちに政治家として大出世するなど、誰も予想していなかったでしょうね。
1991年、KGBを辞職したプーチンは、恩師・サプチャークの右腕として活動を始めます。
サプチャークがレニングラード市長(その後、サンクトペテルブルク市に名称変更)に当選すると、右腕として活躍していたプーチンは、翌年に副市長、2年後には第一副市長に任命され、政治家としてとんとん拍子で出世の階段を登りました。
しかし、1996年、サプチャークが選挙に敗れサンクトペテルブルク市長を退任すると、プーチンも第一副市長の座を離れることになってしまいます。
ところが、政治家としての実力を買われたプーチンは、ロシア大統領府に招へいされ、総務局次長として勤務することになりました。
ここでも手腕を発揮し、すぐにロシア大統領府・副長官兼監督総局長に出世すると、翌年には第一副長官に就任。
KGBの後身であるロシア連邦保安庁(FSB)の長官にも任命され、当時の大統領ボリス・エリツィンを全力でサポートしました。
スパイ時代の経験を生かしたのでしょうか、エリツィンの不正疑惑を捜査していた検事総長を失脚させ、エリツィンを失脚させるためのクーデターも未然に防ぐなどして、時の権力者の信頼を得ることに成功しました。
1999年、プーチンはエリツィンの後継者として第一副首相に任命され、国家の権力者として着実にあゆみを進めます。
同年末をもって引退したエリツィンに代わり、2000年に大統領代行に指名され、その後の活躍はみなさんご存知の通り。
現在まで20年以上に渡り、絶大な権力を我が物にしてきました。
大統領代行になったプーチンは、自身の権力を確固たるものにすべく奔走します。
まず、脱税の取り締まりや減税などの減税税制改革、土地売買の自由化、外貨の獲得などでロシア経済を復活させ、国民からの信頼を築き上げます。
また、「オリガルヒ」と呼ばれる巨大財閥を制圧、自分に従うことを誓った企業とは和解をし、企業が保有するメディアをコントロールするようになりました。
二期目には、直接選挙で選ばれていた地方の知事を、大統領による任命制に改め、大統領の権限を強大化させた一方、国民の生活水準向上にも力をいれ、医師や看護師の給料アップ、子育て支援や奨学金制度の制定など、経済対策にも力を入れました。
その後、大統領の座は後継者であるメドベージェフに譲りますが、影の権力者としてプーチンはなお実権を握り続けます。
このころ、メドベージェフ政権は大統領の任期を4年から6年にする憲法改正を行い、来るプーチン復活の日のために大統領の権力をさらに強大化させていきます。
そして、プーチンは2012年に大統領として復活。
三期目をつとめ、2018年からは四期目に突入し現在に至ります。
プーチンの半生を時系列で追ってみると、様々なことがわかりました。
スパイとしては二流だった男が、ソ連崩壊後のロシアを大国に復活させる大権力者になるとは、誰も予想していなかったでしょう。
プーチンの政治は、独裁体制や他国侵攻のイメージが強く、悪い面ばかり取り沙汰されています。実際、今もウクライナ侵攻は続いており、決して容認できるものではありません。
しかし、経済政策や生活水準向上政策で国民の信頼を獲得し、「強いロシア」として復活させた立役者であることは間違いないでしょう。
プーチン企画の続編では、実は面白いプーチンの素顔・私生活に迫ります!
次回もお楽しみに!
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