静岡県静岡市
いまから57年前の1966年、静岡県のとある会社の専務を務める男性の自宅で火事が起こりました。
焼けた家からは専務一家の遺体が見つかり、当時その会社に勤めていた元プロボクサーの袴田巌が殺人の容疑で逮捕されました。
しかしこれは、日本史上最悪の冤罪事件の始まりだったのです。
hana
袴田さんは、30歳のころから45年間も収監されていたんだね。
ハチ子
2023年に再審請求が認められて、今後裁判のやり直しが行われるそうよ。
1966年6月30日、静岡県清水市(現・静岡市)の味噌製造会社の専務宅で火事が発生し、専務の家族4人が刃物で刺された死体として発見されました。
警察は、袴田巌さん(元プロボクサー、味噌工場の従業員)が犯人と考え、事件から1ヶ月余りがすぎた8月17日に逮捕しました。
当初袴田さんは犯行を否認していたものの、連日の厳しい取調べの結果、犯行を自白しました。
また、袴田氏の自白は日替わりで内容が変わっており、「専務の妻と肉体関係にあった」「強盗目的」など、さまざまな理由が述べられました。
翌年には、袴田さんの犯行を裏付ける証拠として、工場の味噌タンクの中から血染めの5点の衣類が見つかっています。
第1審の静岡地裁は袴田氏を有罪とし、1980年に最高裁で死刑が確定。
その後は袴田さんの再審請求が何度か行われ、2014年に静岡地裁が再審開始と死刑及び拘置の停止を決定し、袴田さんは釈放されました。
その後も法廷闘争が続き、2023年3月13日に東京高裁は静岡地裁の再審開始決定を支持、裁判のやり直しが行われる予定です。
冤罪の疑いが強い袴田事件。
再審で無罪が確定すれば、袴田巌さんは無実の罪で45年間も収監されていたことになります。
袴田さんの無実・冤罪を裏付ける証拠として取り上げられているのが、静岡県警で「拷問王」として名を馳せていた警察官・紅林麻雄の存在です。
紅林は数々の冤罪事件に関与していた警察官で、静岡県警で冤罪事件を多発させることになった原因の人物です。
紅林は自身が考案した拷問を被疑者に試し、自白を強要させていたことから「拷問王」と呼ばれ、証拠の捏造、脅迫や偽装を繰り返していました。
紅林が関わった事件には、「幸浦事件」「二俣事件」「小島事件」「島田事件」などがあり、どれも無期懲役や死刑判決が出された後、再審によって無罪が確定しています。
紅林の悪行が明らかになり、県警は降任処分を命じ派出所へ左遷しましたが、幸浦事件の冤罪が明らかになったあと、1963年に県警を依願退職しました。
しかし、紅林が退職しても静岡県警の体質は変わらず、1966年に袴田事件が発生することとなりました。
袴田事件では、紅林の元部下だった警察官が袴田さんに自白を強要したとされており、袴田さんは、炎天下で1日平均12時間の取り調べを受け、さらに警察官の前で排泄を強要されたり、睡眠を妨害されたりしたことが明らかになっています。
袴田事件に紅林は直接関与していないものの、「拷問王」が与えた影響は計り知れません。
袴田巌さんが犯人でないとすれば、袴田事件の真犯人は誰なのでしょうか。
当初から警察は袴田さんを犯人と決めつけて捜査していたため、事件の真相は依然として不明のままであり、議論や疑問が持たれている事件となっています。
しかし、事件時の状況や事件後の流れを追ってみると、実は一人、怪しい人物が存在します。
殺害された専務一家の家族構成は、専務、妻、長女、次女、長男の5人。
このうち事件で死亡したのは長女を除く4人で、事件当時、長女は別棟の祖父の家で就寝していたため無事でした。
実は、事件時〜事件後にかけて長女の行動が怪しく、「長女が真犯人なのではないか」と噂されていました。
長女真犯人説を裏付ける証言は以下の通りです。
事件当日に祖父宅にいたこと、駆け落ち相手のヤクザが自殺していること、そして長女自身が袴田さんの釈放決定の翌日に死亡していること・・・これだけ偶然が重なると、怪しさが増してしまいます。
ヤクザだった彼氏との駆け落ちに反対された腹いせに、長女が彼氏と共謀して一家を殺したという説がもっとも濃厚とされていますが、長女本人も、共謀したとされるヤクザの彼氏も死亡してしまった今、真相は闇の中です・・・。
2014年、約45年間の収監を経てようやく釈放された袴田巌さん。
これは、袴田さんの姉・ひで子さんが「弟の無実」を信じ、全てをかけて勝ち取った釈放でした。
釈放から1ヶ月後には、1991年から袴田さんの支援を続けていた世界ボクシング評議会(WBC)が、元プロボクサーだった袴田さんに「名誉チャンピオンベルト」を授与するイベントも行われました。
袴田さんは現在、姉のひで子さんとともに静岡県内で暮らしています。
袴田さんは長年の収監によって精神を蝕まれ、妄想の世界と現実の世界を行き来する、いわゆる拘禁症状が出ているとのこと。
しかし、釈放当初は険しかった表情は次第にやわらかくなり、今では姉や支援者と打ち解け、周囲を笑わせるまでに回復しているそうです。
今回は、日本史上最悪の冤罪事件「袴田事件」についてお伝えしました。
無実の可能性がありながらも、死刑囚として収監された45年間。
どんなお金を積んでも、袴田さんの45年間が戻ってくることはありません。
姉のひで子さんは90歳、袴田さんは87歳と、いつ急逝してもおかしくない年齢にさしかかっています。
ひで子さんと袴田さんが生きているうちに、無罪判決を確定して欲しいです。
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