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【欧州最後の独裁国家・ベラルーシ 歴史編】


ウクライナへの侵攻を開始し、4ヶ月以上にわたって世界を騒がせているロシア。

そんなロシアの隣に、ひときわ異彩を放つ小さな国が存在します。

それは「ベラルーシ」。

謎に包まれた東欧の小国・ベラルーシについて深堀りしていこうと思います。

前編は「ベラルーシの歴史」についてお届けします!

 

 

ベラルーシについて


ベラルーシは、ロシア・ウクライナ・ポーランド・ラトビア・リトアニアに囲まれている内陸国です。

国土の約半分は森林で、大きさは日本の本州程度という小さな国です。

人口は約940万人(2020年時点)。

愛知県名古屋市の人口が約1000万人なので、ベラルーシがとても小さい国であることがわかりますね。

ベラルーシと聞いてもあまりピンとこないかもしれませんが、20世紀を代表する画家・マルク・シャガールは、実はベラルーシ出身です。

フィギュアスケートの安藤美姫選手の元コーチとして有名なニコライ・モロゾフは、現役時代にベラルーシ代表として長野五輪に出場しています。

また、プロテニス選手・マリアシャラポワはロシア国籍ですが、両親はベラルーシ出身です。

動画では、ベラルーシの首都・ミンスクの美しい街並みを見ることができます。

建物にはソ連時代の面影が残っており、いかにも東欧っぽい雰囲気が漂います。

一方で、駅や国会議事堂は近代的で洗練されていて美しいですね。

いつか訪れてみたい街の一つです。

 

 

ベラルーシの成り立ち


現在のベラルーシ(正式名称:ベラルーシ共和国)は、1991年のソ連崩壊とともに誕生した国で、まだ建国後30年ほどしか経っていない歴史の浅い国です。

しかし、建国以前を振り返ってみると、戦争と他民族からの侵略を繰り返してきた歴史を持つ国であることがわかります。

現在のベラルーシがある地域(以下ベラルーシ地域と記載)には石器時代から人が住み農耕を行っていました。

9世紀ごろ、現在のベラルーシの元祖である「ポロツク公国」が建国され、ベラルーシ地域は歴史の動乱に巻き込まれていくこととなります。

10世紀には、北欧からコンスタンティノープルまでを治めていた大国・「キエフ大公国」の侵略を受け、以後13世紀まで、現在のベラルーシ地域はキエフ公国の一部として存続していました。

13世紀半ばにはモンゴルのルーシ侵攻が起き、ベラルーシ地域も「タタールのくびき」の影響を受けました。

内乱や戦争によってキエフ大公国が衰退すると、次は「リトアニア大公国」の支配下となりました。

その後、16世紀にリトアニア大公国がポーランド王国の一部になったことで、ベラルーシ地域の公用語もポーランド語になり、ベラルーシ語の使用は禁じられ、東方正教会からカトリックに改宗させられるというポーランド化が進められていきました。

リトアニア大公国はベラルーシを戦地とした戦争を繰り返し、その過程でベラルーシ人の人口は半分以下にまで減少しました。

18世紀、「ロシア帝国」によってリトアニア大公国が解体されると、ベラルーシ地域はロシア帝国の支配下となります。

ロシア帝国の支配下ではベラルーシ地域のロシア化が進められ、それに反対した人々はアメリカや西ヨーロッパへの亡命を余儀なくされました。

旧リトアニア大公国地域の住民は2度反乱を起こすも鎮圧され、貴族や中流階級などのエリート層は海外に逃げていき、ロシア帝国に残ったベラルーシ人はほとんどが農民でした。 

キエフ大公国、リトアニア大公国、ロシア帝国と、時代を象徴する大国に支配されてきたベラルーシ。

ロシアとヨーロッパ諸国をつなぐちょうど真ん中にあり、地理的に重要な場所に位置しているのも要因の一つかもしれませんね。

 

第二次世界大戦とチェルノブイリ原発事故


1917年、ロシア革命が起きました。

ロシア帝国は解体され、ベラルーシ地域は翌年に「ベラルーシ人民共和国」としてようやく独立を果たしました。

ところが独立は長く続かず、翌1919年に消滅。

ソ連の支配を受けた「白ロシア・ソビエト社会主義共和国」が成立し、1922年に正式にソ連の一部になりました。

また、この間にソ連とポーランドの間で起こっていた「ポーランド・ソビエト戦争」と条約の調印によって、ベラルーシ地域の西半分はポーランド領、東半分は白ロシア・ソビエト社会主義共和国領と定められました。

1939年、第二次世界大戦が勃発してからは、混乱に乗じて西半分のポーランド領が白ロシア・ソビエト社会主義共和国に取り戻されます。

1941年からの独ソ戦(大祖国戦争)では激戦地となり、ドイツによる大虐殺(ハティニ虐殺)も行われました。

ベラルーシ地域での惨禍は1944年7月のバグラチオン作戦によってドイツ軍が撤退するまで続き、ベラルーシ人の4人に1人が死亡するという大きな被害を受けました。

1945年に第二次世界大戦が終結すると、白ロシア・ソビエト社会主義共和国に組み込まれていたポーランドの一部地域がポーランド領に戻され、現在のベラルーシ共和国の国境が決定しました。

これによりベラルーシ地域に住んでいたポーランド人は祖国へ追放され、現在のベラルーシ国民は非ポーランド系のルーシ人と、ロシア系ユダヤ人、そしてロシアから移住してきたロシア人で構成されることになりました。

ソ連の一部としてようやく落ち着いたベラルーシ地域でしたが、ある事故によって大きな被害を受けることなります。

それは、1986年4月26日に発災した「チェルノブイリ原発事故」。(最近では「チョルノービリ」とも呼ばれています)。

実はチェルノブイリは現在のウクライナ北部、ベラルーシとの国境すぐ近くにあります。

地図を見ると、ベラルーシとの国境がすぐ近くにあることが確認できますね。

原発事故後、放射性物質は南風に乗ってベラルーシ国内に拡散し、ベラルーシ第2の都市・ホメリ地区では非常に大きな被害を受けました。

同地区では、小児がんの発生件数が世界平均の100倍に達するという報告がなされており、今もなお汚染対策や避難を余儀なくされるという問題を抱えています。

 

長きにわたる支配から抜け出し、第一次世界大戦の混乱に乗じてようやく独立を果たしたものの、一年ほどでソ連に組み込まれてしまったベラルーシ。

さらに、他国に巻き込まれる形で戦争や事故の被害を受け、今もなお根深い問題が残っています。

ロシアによるウクライナ侵攻で、ベラルーシが頑なにロシアとの関係を否定し、「ウクライナに部隊を送っていない」と主張するのは、こういった過去を持っていることも関係しているのかもしれませんね。

 

ソ連崩壊と独立


1988年頃から、ソ連のゴルバチョフ書記長(後に大統領)の求心力が低下し、ソ連を構成していた各国が独立の準備を始めました。

まずはエストニアの独立宣言から始まり、リトアニア、ラトビア、ジョージア(当時の呼称はグルジア)も続々と独立を宣言していき、ソ連崩壊に向けてのカウントダウンが始まりました。

そして1991年12月8日、ロシア共和国のボリス・エリツィン大統領、ウクライナのクラフチュク大統領、ベラルーシのシュシケヴィチ議長によって調印された「ベロヴェーシ合意」で独立国家共同体(CIS)の創立が宣言され、ついにベラルーシは「ベラルーシ共和国」として独立しました。

翌年には独自通貨「ベラルーシ・ルーブル」の導入を開始し、名実ともにソ連からの独立を果たしました。

ようやくソ連から解放され、民主的で自由な国を目指していくかと思いきや、ある人物が初代大統領に就任し、ベラルーシの未来を意外な方向に導くこととなりました。

その人物とは、「アレクサンドル・ルカシェンコ」。

1994年から現在まで約30年間にわたり大統領を務めており、「ヨーロッパ最後の独裁者」とも揶揄される人物です。

 

ソ連崩壊についてはこちらの記事で詳しく解説しています✨

 

前半はここまで✨

次回は、「ヨーロッパ最後の独裁者」ルカシェンコ大統領について深掘りしていきたいと思います。

次回のYoutube Walker もお楽しみに!



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