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KUWATA BANDばかり聴いていた中二の夏


1986年は中学二年生だった年だ。渋谷の高級住宅街にある中学に行っていたが、全然勉強はしていなかった。

中1の頃からのゲーセン通いも影響して特にこの年は本当に勉強していなくて成績の低下がすごく、三年生になって慌てて追いつくのだけど、その時はよく戻ってこれたなと思うほどであった。

なんだかこの頃、急にいろんなことに疲れを感じ出したのを覚えている。友人との関係や部活や勉強や、全部めんどくさいなと思い始め、狂うように通ってたゲームセンターにも行かなくなった。かと言って何か打ち込むことが他にあるわけでもなく、だらだらと無駄な日々を過ごしていた。本当に何してたんだろうか。

今でこそ時間はすごいスピードで過ぎていくが、この頃の時間の流れはノロすぎるほど穏やかで、夏休みに至っては、いつまで続くんだ?と思えるほどであった。今となっては貯金してあげるものなら貯金しておきたかったとすら思う。

正直、何をしていたかの記憶がないのだが、聞いてた音楽の記憶は鮮明にある。その年はサザンの桑田さんが、奥様のご懐妊に伴ってKUWATA BANDという別のバンドで活動していた一年だった。中学に入って、あまり芸能に詳しくなかった僕も、芸能通の友人に色々教えられ、チェッカーズやCCBや安全地帯や吉川晃司などの人たちの音楽を聴くようになっていた。

その頃台頭してきていたEpicSony系のニューミュージックぽいもアーティストも流行っていた。大江千里、TMネットワーク、尾崎豊、渡辺美里など。最先端を行きたがる友達たちはそんな人たちの音楽を聴いていた。影響でいろんなアーティストを一応付き合いでは色々聞くのだが、僕は断然KUWATA BANDがかっこよかった。

その年限定の活動のKUWATA BANDは4枚のシングルと、全部英語の歌詞のアルバムをリリースしどれも大ヒットしていた。ベストテンでも何周も連続で一位になっていた。

周りの友達が好きな、とんねるずとかおニャン子クラブとかにあまり興味が持てずに、今思うと完全に浮きかかっていたのかもしれない。部活も入らず、何にも打ち込まず、よく不安にならずにやっていたなと思う。

なんだかその期間は時間もある場所も過渡期であり、長く止まるべき場所でもないという意識が強かった気がする。かといって特に努力もしてないというのばけしてほめられたものではないはず。そういう認識はなかったけど、けっこうこじらせていたのかもしれない。

他の人の中二の頃ってどうなんだろうか。中二病とかって言葉があるけど、一般的にはどんなものなのだろうか。

1986年は今となっては全体通してKUWATA BANDの印象しかない年である。



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