恋愛関連用語でいうと「甘酸っぱい」=「初恋」みたいなイメージって少なからずあると思うんですね。ここのところでちょっと考える機会がありまとめてみたんですが、初恋だけではなくて異性経験があまりない時に片思いしてるとか、なんとなくいい雰囲気なんだけど明確に気持ちを伝えられてない状態が一定期間続くのが甘酸っぱいってことなのかなと考えるに至りました。
それなりに長い時間、例えば1年とか、交際に至らずに思い続けてた異性ってみなさん何人くらいいるでしょうか?ざっくりですが、その数≒「甘酸っぱさを味わえた回数」になるのかなと思うのですが、僕の過去を振り返って数えてみると多分3人くらいかなあと。
1人目 小中学校の同級生で告白できないまま中2の時に相手が外国に転校。その後音信不通。
2人目 高1の時の同級生でお互い意識しつつも未熟ゆえにすれ違い甘酸っぱく終了。その後残りの高校生活でもほぼ口をきかず音信不通。
3人目 大学入学以来ずっと気になる存在だった同級生。卒業前に告白するもふられて終了。友人として年賀状のやり取りをする間柄。
という感じです。
甘酸っぱさは大人になるにつれて確実に感じる可能性が低くなっていくものだと思うんです。例えば接触ありの男女交際を経験してからあとになると、セックス自体が目的になる恋愛も増えていったりもします。僕の場合も2人目と3人目の間あたりからあまり甘酸っぱくない感じで接触ありの男女交際を経験しちゃうのですが、これがなぜ甘酸っぱくないかというと、向こうから気に入られてまあなんとなくokして付き合っているケースだったり、完全にセックスに持ち込もうとしてこちらから近寄って付き合いを開始しているケースだからじゃないかなと思うわけです。
その後上記の3人目との話があるわけなんですが、経験量の足切り上限に達してなかったのか、3人目もギリギリ甘酸っぱかった恋と認定しています。
ということで、極めて私見ではありますが恋愛における「甘酸っぱい」の成立要件をまとめるとこんな感じかと思います。
【恋愛における「甘酸っぱい」の成立要件】
①こちらとしてはただ純粋に好きで仕方ない状態になっている恋であること
②性ということをちゃんと認識できて以降の恋であること
③でも性体験がそれほど豊富でない段階の恋であること
つまり、要件①の純粋な恋心と要件②のその恋の先にある知識としては知ってるけど経験が浅いのでまだよくわからない性的なものの微妙な関係が、甘酸っぱさの発生源になるんじゃないかなあと思うのですね。
さらに年齢が上がるにつれて男女ともに結婚なんかを意識し始め純粋な恋心だけではなくなってくることも、だんだん「甘酸っぱい」が感じられなくなっていく原因なのではないかと思われます。いろいろ先を見据えて考えるのが純粋か純粋じゃないかとか、それを意識下/無意識下どちらでやっているかの切り分けは難しいですが、結婚などの思惑が入り始めると成立要件①を阻害してしまうのではないかなあなんとなくと思います。いろいろな経験により人生をわかり始め、計算が含まれてしまっている可能性が高くなってくるわけです。
また成立要件③だけを満たさずに年齢を重ねてしまう人もいるのですが、そういう人が積み重ねていく経験は「甘酸っぱい」というより単に「すっぱい」んじゃないかなと思ったりもするので、ここで論じている「甘酸っぱい」にはちょっと当てはまらないものになってくるので除外したいと思います。ということで
④25歳以下で経験した恋であること
を成立要件に追加したいと思います。足切り年齢はざっくりですが。
だんだん照準が絞れてきました。
こう考えると、片思いの甘酸っぱさって人生に置いて若い頃の一定の期間だけ味わうことができる特別な果実なのかもしれないなと思ったりもするわけです。僕のケースで言っても人生に置いて3人だけ、そしてもう残念ながら今後増えない、という状況なわけです。これは結構すごい貴重だと思うんですよね。
この文章を書こうと思ったきっかけの話になるのですが、実はつい先日高校の同窓会がありまして、2人目の方にそれこそ四半世紀ぶりに会って話をする機会があったんですね。その方と絡んでいたのは高校一年生の時で、なんかモゾモゾした甘酸っぱい時期を1年弱過ごしました。その後ちょっとしたきっかけでなんとなく話をしなくなってしまったのですが、話すのはそれ以来なので、もう三十年弱ぶりになるわけです。
同級生ですから二人共同じ年齢なので今はすでに40代も半ばなわけですが、それこそ三十年近く前の高校1年生の時のことを当時をよく知ってる人と思い出しながらお酒を飲みつつ話をするのって、結構贅沢で良いものだなあと思ったりしたわけです。しかも当時なんですれ違ったのか、その時のどんなことが原因でどういう気持ちになったのか、とか今まで長いこと謎として捉えていたものを聞けたりして、なるほど!と思ったりしつつ当時の反省ができます。あとちょっとした言い訳ができたりとか。
後は話ししなくなってから今までどんな人生を過ごしてきたのか、現在のパートナーや家庭のことなんかも話したり聞いたりしながら、やりとりしていない間のアップデートをして、もし二人があの時うまくいっていたらの仮定の話をしたりなんかもしてみたりもできるわけです
(実際、高校時代から付き合ってて結婚して子供もいる同級生もいるので、可能性がゼロではないわけです)。もうお互いいい歳ですし、今更どうこうということももちろんないので、率直な意見交換なんかができたりもします。
新たな甘酸っぱさの種を得ることはこの歳になると難しいのですが、過去の甘酸っぱい経験を振り返る時間を持つというのは、過去に巻いた種が大きく育っての収穫祭りと言っても過言ではないくらい「甘酸っぱさ」まみれになれます。今回の出来事は僕にはちょっと甘酸っぱすぎて2~3日余波によって調子崩すくらいの衝撃でした。当時の自分の稚拙さやそれに気がつかず過ごしてきてしまったその後の時間の長さに打ちひしがれたりしてしまいました。
このように心を揺さぶられる出来事というのは人生においてそう多くはないわけなのでとても貴重です。
甘酸っぱさの経験って、若い頃に稚拙だけれどそれなりに一生懸命恋をしていないと得られないものなんじゃないかなと、今になって気がつき、あまり一生懸命であったとは胸を張っては言えない自分でも、そういう経験ができたのはラッキーだったのだなあと、会話の後、相手にさらに感謝の気持ちが生まれてきたりしました。
時間の流れの前に人間は無力なのですが、甘酸っぱさはそれゆえに生まれる副産物なのかもしれませんね。
また、そういう話ができる相手というのはとても稀有で貴重な存在なんじゃないかなあと思い、早速翌日、こちらが不義理をしていて音信不通になってしまっていた上記の3人目の方にも、遅ればせながらの年賀状を出してみました。貴重な人ですからね。
まとめとしてですが、若い人(25歳以下)にはどんどん甘酸っぱい経験をしていってほしいと思いますし、それ以上の方には過去の甘酸っぱいの収穫ってのもいいものですよということをお伝えしたいと思います。
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