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菅田将暉よりも人気だった? いしだ壱成


石田純一さんの息子で、俳優・タレントのいしだ壱成さん。

48歳になった現在はお騒がせタレントのような存在になってしまっている彼ですが、昔は「フェミ男」と呼ばれ、数々の人気ドラマに出演していた超人気俳優でした。

今回の昭和平成ノスタルジアでは、いしだ壱成さんの半生と現在についてお届けします!

 
 
 
User 1

hana

最近のいしだ壱成さんは、離婚やうつ病などいろいろあったみたいね。

User 2

ハチ子

昔は「フェミ男」と呼ばれて、とてつもない人気だったのよ。

 

石田純一の隠し子?いしだ壱成の生い立ち


いしだ壱成さんは、1974年に、俳優・石田純一さんと活動家の星川まりさんの長男として生まれました。

90年代にトレンディ俳優として名を馳せた石田純一さんですが、壱成さんの誕生時はまだ早稲田大学に通う20歳の学生でした。

母の星川まりさんは当時19歳なので、壱成さんは若い両親の元に生まれたのですね。

しかし、石田純一さんが演劇の勉強をしにアメリカに渡り、壱成さんが2歳のときに両親は離婚。

母親のまりさんに引き取られた壱成さんは、母のヒッピー的な生き方に振り回される小学生時代を過ごし、屋久島・アメリカ・八ヶ岳などを転々としながら50回以上も引っ越しを繰り返したそうです。

いしだ壱成さんはインタビューで、「コミューン」と呼ばれる共同体で生活していたことを明かしています。

うちの母(星川まり)とその兄、つまり伯父(星川淳)はどちらも作家で、2人は60年代から70年代にかけて、アメリカからヒッピー文化を日本に持ち込んだ人なんです。

日本におけるカウンターカルチャーとして、反戦やラブ&ピースといった思想を訴えていた人たちで、コミューンという共同体、共同生活の概念もこの時に始まったと聞いています。

 僕が物心ついた70年代後半は、我が家は東京・三鷹のコミューンで暮らしていて、その後は八ヶ岳や屋久島に移り住みました。基本的にずっと自給自足の生活なので大変でしたけど、学校にはなるべく行くようにしていましたね。

 

引用: 文春オンライン 母の彼氏から「俺は本当のお父さんじゃないからね」と…16歳で父・石田純一と再会した“いしだ壱成”(48)が明かす、自給自足の幼少期

 

留学がきっかけでコミューンでの生活は終わりを迎え、留学先から帰国した16歳の時に転機が訪れます。

父・石田純一さんとの再会です。

大人気俳優の父との交流が始まったことで、壱成さんの人生も変わっていきます。

1980年代からバラエティや昼ドラで活躍していた石田純一さんは、1988年に出演した「抱きしめたい!」の大ヒットで人気俳優に。

石田純一さんは1988年に女優の松原千明さんと結婚し、1990年には娘・すみれさんが誕生していました。

しかし星川まりさんとの結婚&壱成さんの存在は公表しておらず、1991年10月、壱成さんは「石田純一の隠し子」としてスクープされてしまいました。

 

「フェミ男」として一世風靡


衝撃の「隠し子」スクープからまもなく、もともと芸能界に興味があった壱成さんは、1992年にフジテレビのドラマ「悲しいほどお天気」で俳優デビュー。

父・純一さんも俳優として全盛期だったこともあり、次々にドラマの出演が決まっていきました。

そのルックスと確かな演技力で瞬く間に人気俳優の座を射止め、「ひとつ屋根の下」「未成年」といった超人気ドラマに出演しました。

当時の壱成さんの人気は凄まじく、武田真治さんとともに「フェミ男」と呼ばれ、中性的なルックスで絶大な人気を集めました。

当時を知る人は口を揃えて「今で言う菅田将暉のような人気っぷり」「本当にカッコ良かった」「カリスマだった」と言うあたり、本当に人気があったのですね。

菅田将暉さんや成田凌さんのようなポジションだったいしだ壱成さん・・・

確かにとてもイケメンですね。

俳優活動と並行して音楽活動も行い、1994年には「WARNING」でデビュー。

武田真治さんらとバンド「THE BIG BAND!!」を結成したことでも話題になりました。

しかし、順調だった芸能生活に暗雲が立ち込めます。

2001年8月20日、壱成さんは大麻取締法で逮捕され、芸能活動を休止。

父・石田純一さんは1996年の「不倫は文化」発言ですでに干されていたため後ろ盾がなく、苦しい日々を送ることになりました。

2003年に芸能界に復帰し、映画・舞台を中心に活動を再開するも、2009年に二股交際が明らかに。

当時同棲していた女優の他に一般女性とも交際しており、彼女を妊娠させたにもかかわらず連絡を断ち、自殺未遂にまで追い込んでいたことが報道されました。

この一件で所属事務所を解雇された壱成さんは、中国で俳優活動を開始したり、石川県で地域活性化事業を始めるなど迷走。

DJ「iSSEi iSHiDA」としても活動していましたが、かつてのような輝きは失われてしまいました。

 

三度の結婚と離婚・・・いしだ壱成の現在


いしだ壱成さんを語る上で外せないのが、三度の結婚&離婚。

「とにかくモテる」と自認する壱成さんの結婚歴をまとめてみました。

 

  • 最初の妻・三宅えみさん

最初の妻・三宅えみさんとは、2003年12月17日に結婚しました。

2001年〜2003年は逮捕の影響で謹慎していた壱成さんですが、復帰と同時に結婚しています。

2人は授かり婚で男児が産まれていますが、2006年に離婚しました。

離婚理由は壱成さんのモラハラ

えみさんを使用人のように扱っていたことを、のちにバラエティ番組で明かしています。

ちなみに三宅えみさんは、壱成さんとの離婚後に俳優の谷原章介さんと再婚

現在は5児の母として幸せに暮らしているようです。

 

  • 2番目の妻・一般女性ちえさん

いしだ壱成さんの2番目の妻は、一般女性のちえさんです。

いしださんが仕事で青森県に行った時に出会い、2011年に交際を開始し、同棲を経て2014年に結婚しました。

2人は石川県に移住し、古民家再生活動などで地域活性化を行っていましたが、2017年には離婚を発表しています。

離婚したのはいしださんのモラハラが原因と噂されています。

 

  • 3番目の妻・飯村貴子さん

一般女性・ちえさんとの破局から程なくして、2018年4月に女優・飯村貴子さんと結婚しました。

結婚を発表した時、飯村貴子さんはすでに妊娠していましたが、まだ19歳の未成年。

当時43歳のいしださんより24歳年下で、「年の差婚」として話題になりました。

また、ちえさんといしださんの離婚から1年足らずでの再婚だったことから、「不倫だったのでは?」「二股交際」と批判されることもありました。

いしださんと飯村さんの出会いのきっかけである舞台「午前5時47分の時計台」が上演されていたのは2017年4月で、当時いしださんはちえさんと結婚していました。

その後いしださんと飯村さんは、出演したテレビ番組で「ちえさんとの離婚後に交際をスタートした」と明かしていますが、本当かどうか怪しいですね・・・。

2019年には長女・さつきちゃんが産まれ、幸せな生活を送っていた2人でしたが、いしださんが鬱病で働けない生活苦、飯村さんの不倫などが原因で、2021年に離婚しました。

 

いしださんの結婚歴を時系列にまとめると、以下のようになります。

  • 2003年:三宅えみさんと結婚
  • 2003年12月:長男が生まれる
  • 2006年:三宅えみさんと離婚
  • 2011年:ちえさんと出会う
  • 2014年:ちえさんと結婚
  • 2017年4月:飯村貴子さんと出会う
  • 2017年8月:ちえさんと離婚
  • 2018年4月:飯村貴子さんと結婚
  • 2019年9月:長女が生まれる
  • 2021年12月:飯村貴子さんと離婚

 

まとめ


かつて「フェミ男」として一世を風靡し、非常に人気の高かったいしだ壱成さん。

三度の結婚と離婚を経て今ではお騒がせタレントのような存在になってしまったいしださんですが、昔を知る人は口を揃えて「本当にかっこよかった」「演技がうまかった」と彼を評価しています。

また、2022年にトルコで受けた植毛手術が大成功し、かつてのような輝きを取り戻しつつあります。

またドラマや映画に出演する姿が見られるかもしれませんね。

 



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