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【不可解な死亡の数々】戸塚ヨットスクール事件


戸塚ヨットスクールの設立と変遷今回の「昭和★平成ノスタルジア」では、事件から40年経った今でもたびたび話題に出る「戸塚ヨットスクール事件」についてお届けします。

 

User 1

hana

メディアにも出ている人気スクールが、まさか生徒を虐待していたとはね。

User 2

ハチ子

約40年前の事件だけど、今でもネットではたびたび話題になっているわよね。

 

戸塚ヨットスクールの設立と変遷


戸塚ヨットスクールは、愛知県知多郡美浜町で戸塚宏によって設立されたヨットの技術を教える教室です。

最初はヨットの技術養成を目的としていたが、後に非行や情緒障害の更生を目指す施設へと方針が変わりました。

この転換は、マスコミが戸塚の指導が効果があると報じたことにより、親元からスクールに預けられる生徒が増加したことに起因しています。

 

ヨットスクールの問題がマスコミに報じられる


1980年代、戸塚ヨットスクールでは、訓練生の死亡、傷害致死、行方不明といった事件が頻繁に発生しました。

これらの事件はマスコミによって広く取り上げられ、スクールの方針が教育的な体罰よりも過酷な暴行だったことが司法判断によって確定されました。

 

1980年代の事件と司法判断


1979年から1982年にかけて、戸塚ヨットスクールで訓練中に訓練生の死亡や行方不明事件が複数発生しました。

特に1982年に起きた少年の死亡事件では、警察の捜査によって過剰な体罰による事故ではなく、組織ぐるみの暴行による傷害致死事件であることが明らかになりました。

 

各事件の詳細と起訴内容


1.1979年の少年の死亡事件

この事件は、戸塚ヨットスクールの少年(当時13歳)が死亡した事件です。

少年は激しい腹痛を訴えていたにもかかわらず、戸塚らは医師の診察を受けさせずに暴行を加え、訓練を強制した末に死亡しました

戸塚側は「低体温症によるもので体罰との因果関係は無い」と主張し、警察は病死として不起訴にしました。

 

2. Y事件

1980年11月4日に起きたY事件では、特別合宿生として入校していた青年Y(当時21歳)が、早朝体操や穴掘り作業、海上訓練などの際にコーチらから暴行を受けて死亡しました。

戸塚およびコーチらは傷害致死罪で起訴されました。

 

3. あかつき号事件

1982年8月14日未明に起きたあかつき号事件では、鹿児島県・奄美大島での夏期合宿を終えた少年2名(当時15歳)が体罰から逃れるため、船から海に飛び込んで行方不明になりました。

その後、彼らの死亡が確認されました。

戸塚およびコーチらは監禁致死罪で起訴されました。

 

4. O事件

1982年12月12日に起きたO事件では、少年O(当時13歳)が特別合宿中に死亡しました。

入校一週間での早朝体操や自主トレーニングの際に暴行を受け、海上訓練の際には戸塚宏とコーチらがヨットから海に転落させました。

少年は食事もほとんど摂らずに体調を崩し、12日に死亡しました。

この間、一切の治療が行われなかったとされます。

戸塚およびコーチらは傷害致死罪で起訴されました。

 

事件の社会的影響と教育論への影響


これらの一連の事件は、日本において体罰の是非を問う討論や教育論の展開に多大な影響を与えました。

事件は度々引き合いに出され、個人の教育論の展開や講演会、商業書籍の執筆などにおいても取り上げられることとなりました。

戸塚ヨットスクールの事件は、マスメディアによって1980年代を通じて広く報道され、その過酷な暴行や過失が司法によって確定されました。

当初は教育界のカリスマとしてマスコミに好意的に取り上げられていた戸塚宏も、事件が発覚するにつれて非難を浴びることとなりました。

また、これらの事件は体罰の是非をめぐる社会的な議論を呼び起こしました。

戸塚ヨットスクールの指導方法は教育的な体罰ではなく、過酷な暴行であったことが明らかになりました。

このことは、教育現場における体罰の是非について再考させる契機となりました。

一連の事件は、日本の教育制度や指導者の責任についても問いかけられることとなり、とくに教育現場において生徒の安全と心身の健康を保護するための適切な指導方法や監督体制の整備が求められるようになりました。

これらの事件は、教育における倫理や安全面の重要性を再認識させるとともに、児童・青少年の保護や教育環境の改善に向けた努力が促されるきっかけとなりました。

 

戸塚宏の現在は?


1983年6月に事件が発覚し、スクール創業者の戸塚宏はコーチらとともに傷害致死罪や監禁致死罪で逮捕されました。

1986年に保釈されるも、その後1999年〜2002年にわたって行われた裁判で有罪が確定。

2002年、懲役6年の刑が確定して静岡刑務所に収監されました。

2006年に刑務所を出所し、現在まで戸塚ヨットスクールの運営を続けています。

2006年の復帰から現在まで、少なくとも3件の死亡事故(自殺と見られる)、1件の自殺未遂事件が起きていますが、いずれも事件性はないとして捜査は終了しています。

 

まとめ


1980年代、行き過ぎたスパルタ教育で死亡事件が多発した戸塚ヨットスクール。

創業者の戸塚宏氏やコーチたちは傷害致死などので有罪が確定し、罪を償った上で刑務所を出所していますが、今もスクールは同氏によって運営されています。

「スパルタ教育」という言葉は、古代ギリシャの都市・スパルタで行われていた兵士の教育法に端を発します。

国に仕える強い戦士を育て、国を守るためのものでした。

若者を何人も死に追いやった戸塚ヨットスクールの指導方法は、本来の「スパルタ」の意味から逸脱しているのではないでしょうか。

 

 



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