2007年10月 15日

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2007〜8年のサブプライム問題真っ只中に不動産ベンチャーに転職した話


2006年くらいから転職を考えていた。転職すると2〜3年ローンが組めなくなると聞いてマンションをローンで購入し、2007年の1月に引っ越した。2月にはついでに車もローンで購入した。一応返せる目処はあったものの飛んだ借金大王である。マンションは買い換えてしまったが、その時買った車にはまだ乗っている。ちょうど10年。物持ちがいい方だと思う。

色々と声をかけてくれる会社に会いにいったりしていたが、2007年の秋頃に不動産系のベンチャー企業に転職をすることにした。REITと不動産賃貸家賃保証サービスを提供するベンチャーだった。ベンチャーといってもすでに上場をしていたし、社員も僕が入社した時点で500人を超える規模になっていた。賃貸家賃保証という社会のインフラになりそうなビジネスモデルがすごいと思ったのと、それと並行してアセットマネジメント、REIT、プロパティマネジメントなどの不動産関連のビジネスをやって利益をあげていることに惹かれていた。給料が良かったというのももちろんある。

そんな風に転職を決めて意気込んで着任するが、しょっぱなからただならぬ状況に直面する。

僕がジョインした当時、その会社は総額で50億円ものIT投資をするプロジェクトを進めている最中であった。賃貸家賃保証サービスをシステム化するといのも含めて、社内の業務を全てIT化しようとしていて、複数の会社からコンサルタントが100人単位で常駐していた。彼らは主に要件定義を行うため、事業や機能組織ごとにヒアリングを進めて膨大な資料を作成していた。そこで僕はいきなり違和感を覚えることになる。コンサルは紙の資料は山ほど作ってくるし、それに膨大な時間を費やしているのだが、一向にシステムが出来上がってくる気配はない。コーディングをしている様子すら見えなかった。リリーススケジュールから逆算するともう結合テストなどをしていないと間に合わない時期なのだが。
賃貸家賃保証、アセットマネジメント、プロパティマネジメント、REIT、少額短期保険、などの事業システムと、会計システム、人事給与、情報セキュリティ、J-SOXなどの社内システムの構築を全て一気にやろうとしていて、その各領域がサブプロジェクトになっていてそれごとに異様に張り詰めた空気の社長への報告会議がセットされていた。その会議を常駐しているコンサルが仕切っている。多分、自社に管理できる要員が少ない中で、身の丈に合わない巨大な開発プロジェクトを走らせてしまったのだろう。パートナーとして選定したコンサル会社はそのプロジェクトをコントロールする中枢の会議を全てファシリテートしていて、社内のシステム部門の管理職たちを完全にコントロールしている状態だった。すごく悪くいうとコンサルに食い物にされている状態で、どう考えても成功するわけないプロジェクトをコンサルが進めていて社内の人間は誰も止められないという状態になっていた。止められないというよりおかしいということに気がついていない状態だった。
僕はいくつかのサブプロジェクトを担当するマネージャーで一応システム部門の管理職としてジョインしていたので、管理職のミーティングなどでそういう健全でない状態を報告し、コンサルにやられちゃってる他の管理職たちに対して、気づいてもらおうとこのおかしい状態を訴え間違ってる点を指摘し議論をすることになるのだが、新参者が急にそんなことを言い出せばばもとからいた同僚たちには嫌われるに決まっている。結託した同僚たちは、なんでこれがダメだとわからないのだろう?というトンチンカンな仕事を頑なに続けていき、結局、大勢は覆せないままキャッシュアウトだけ続いていくという状況が続いていった。おかしな会社に入っちゃったなあと思いつつも、仕方がないしなんとかしないとならないので、とりあえず僕は担当していた会計システム、J-SOX、情報セキュリティの3領域は力づくで推進させながら年をまたぐことになる。幸いそれらのサブプロジェクトで一緒に働いていた仲間はまともな人がそれなりにいて、彼らと仕事するのは悪くなかった。何人かは今でも付き合いがある。


実はその頃裏で、不動産業界においては深刻な問題が進行していた。アメリカのサブプライムローンの問題だ。12月ごろ、取り巻く周辺のビジネス環境が良くないという話が社内の幹部ミーティングでは出始めていた。日本の景気が落ち込むのは1テンポ後の2008年がピークだったが、REITを運用していたその会社では海外物件への投資も行なっており一足早くダメージを食らうことになってしまった。


2008年が開けると3月の決算前に会計システムのリプレイスをしないとならないため1~2月はフル稼働で仕事をしていた。朝行って夜中の2時ごろにタクシーで帰るという生活を2ヶ月くらいしていた。会計システムのプロジェクトは比較的うまく行っていたものの、コンサルたちは間に合わないからリリースを延期したいということを主張していた。延期してしまうと会計年度をまたいでの切り替えになるのでデータの移行などが発生し現実的ではなく、実質1年先延ばしとなることがわかっていた。そんな無駄は避けたいと思い、僕は間に合わせるためのスケジュールをシナリオを書いて半分強引に切替を実施することにした。結局その全体の取り組みの中で無事にリリースされたのはこの会計システムだけだった。
2008年に入ると世間の景気も目に見えるように減退していき、とりわけその中でもひどかった不動産セクターに属しているその会社の財務状況もみるみるうちに悪化をして行った。もともと離職率が高く大量採用をしている会社だったのだが、そういう状況から中途の採用を全てストップしたため、人員はみるみるうちに減っていくことになった。フロアは縮小され、座席もまばらになる。会社が傾くというのを初めて目の当たりにした瞬間だった。
自分が担当しているシステムに関してはちゃんとリリースをしようと、混沌としていた中でも頑張っていたのだが、会計システムのリリースを機に緊張の糸は切れてしまった感じがあった。仕事がすごくしづらいおかしな会社だし同僚もほとんど微妙、かつ先行きが不透明な財政状況、幸い来て欲しいと行ってくれる会社がいくつかあったので、ここに留まる必要はもうないなと考えるに至って、2008年7月末で退職をすることになる。その会社が倒産する1ヶ月半前のことであった。

サブプライムの問題は2007年初頭からアメリカの経済に影響を及ぼしていたが、日本ではまだそれほど騒がれておらず、本格的に騒がれ始めるのはサブプライムの問題が発端で悪化した経済状況の中リーマンブラザースが破綻した2008年夏以降だった。その辺にちゃんとアンテナが張り巡らされていたら、このタイミングで不動産系のベンチャーには転職してなかったかもしれない。
当時34~5歳だったが、潰れるのがほぼ確定している2008年4月以降も不思議と会社がつぶれてしまう、どうしよう、みたいな焦りはほとんどなかった。つぶれるからというより、微妙な同僚の管理職たちと時間を過ごすのが無駄だと感じる方が強かったからかもしれない。
結果として僕は潰れる寸前に脱出したが、脱出し切れず倒産を経験した仲間も何人かいる。今でもこのころの話をすることは多いが、本当に不思議な10ヶ月だったなと今でも思う。短かったし、会社としての成果はほとんど出てないし、まあそもそも潰れちゃったのだけど、個人としては意外と非常に得るものが大きく成長できた10ヶ月だったなと思っている。混沌とした状況が人を成長させるのだなあと感じる出来事だ。





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