1993年1月
安倍さんが衆議院を解散すると宣言して、小池さんが新党を作って、民進党がそれに合流するとかいう流れになって、どうなるんだろうかとなんとなく見守る日が続いている。テレビのニュースで酉年には政局で何かが起こるみたいな話をやっていた。1993年の日本新党とかが出てきた時と、小泉さんが郵政民営化の選挙をやったときのことを言っているのだけど、今回の流れ的には1993年の状況が近いんじゃないかなあなんて思ったので、ついでにその頃の世の中や僕がどんなだったかの話も合わせて1993年を振り返ってみたい。
まず、僕は当時ジャスト20歳だった。
前年の9月から留学でアメリカにいて、この年の2月に日本に帰ってきた。20歳の誕生日はアメリカで過ごした。日本の成人式のどんちゃん騒ぎにも参加できなかったので、地元の成人式でたまたま再会した中学か高校一緒だった女子がめっきり大人っぽくなっててロマンスみたいなこともなかった。ちなみにアメリカでは1月に成人式を祝うという風習はなかったのだが、一緒に留学していた日本人のメンバー主催で、外人も交えた”Comming of Age Party”というパーティーを開いたりして祝った。それはそれで楽しかったが、普通の成人式も行きたかったなと今も思ってる(アメリカ留学のことはまた別途書きたいと思う)。
その年の夏は「冷夏」だったのを覚えている。そのため米が不作で市場に米が出回らないという事態が発生していた。割と初めてのことだったのか、市場は大混乱で市場に国産米がなくなり、代替で緊急輸入したタイ米を国産米と同じように調理して比較したものだからタイ米はまずいという人が続出。国産米にプレミアがついたり、タイ米と抱き合わせ販売されたりの騒ぎになった。そんな状況を評して「平成の米騒動」みたいなキャッチフレーズが出たりもしていた。
タイ米は日本のお米とは別の食べ物である。同じノリで炊いて納豆かけて食べたら国産米とは違う食感になるのは当然である。グリーンカレーなどと合わせて食べると美味しいということが世に認知されるのはそのずっと後で、当時は単にタイ米=美味しくないお米と認識されてしまっていた。
当時の政局の概要は、大雑把にいうと小沢一郎がシナリオを書いた野党連合が自民党政権を倒したということだ。
熊本の細川家の末裔、細川護煕が立ち上げた日本新党が躍進し、自民党が過半数を割るということが起こった。日本新党、新党さきがけ、社会党、公明党などが連合し細川が首相になり、他には羽田孜、武村正義、などがキーマンだった。小沢一郎以外はほとんど政治活動はしてなかったり鬼籍に入ってしまったりしている。
ついこの前のように感じるが、もう24年も前なのである。そのことにただ驚く。
その頃の僕はすでに選挙権があり、選挙にも行った。今では信じられないが、確か日本新党に投票したと思う。ネットもないから情報も少なくて、今よりも政策の対立軸は僕を含めた多くの大学生有権者には不明瞭だった。そもそも政策なんてちゃんとみてもいなくて、「何かが変わると面白そう」というただその一点において、日本新党に票を投じたのである。
その選挙で初当選だった人の中に安倍晋三さん、野田聖子さん、小池百合子さんがいるそうだ。今やみんな時の人だ。時間は過ぎていく。それから今まで彼らがどう過ごしてきたかはわからないが、時間は過ぎて行ったのだなあと思う。
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