1996年2月 3日

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腕を組まない


20代の頃、フロントのアルバイトをしていたビジネスホテルのオーナーに教えてもらったことを最近またちょっと思い出した。

そのホテルは戦後すぐ先代オーナーが手に入れた土地で営業を開始し、その後当時のオーナーが相続して家族で経営しているという90年代の都心にしては非常にレトロな雰囲気とシステムのホテルだった。そのオーナー仕事もせずにフラフラしてて、正直ちょっとどうなんだろう?なんてバイトのくせに思ってたフシもあり、まあまあ仲良くはしていたものの、何か指示をされても「はいはい」みたいな態度を取ってしまうことが多々あった。バイトなんだけど実際の切り盛りをほとんど僕がやってると言って良いんじゃないかという状態だったので、そんな態度を取ってしまっていたのだろう。今思えば最低のバイトである。

オーナーは夕方ごろふらりと来て、1時間くらい滞在してフロントで雑談をした後、じゃ、後をよろしくお願いします、みたいなことを言って帰るのが日常で、たまに気が向くとスタバでコーヒーを買って来てくれたりして長話をして行った。漫画とか雑学が大好きな人でそんな話をよくしたりもしたし、奥様が気が強い方だったのでその辺りの愚痴をこぼしていくこともあった。

お分かりかと思うが、まあ暇なホテルだった。

年齢とかバックグラウンドとかベースの考えかたとかが全く違うので、話はそんなに合わないのだが、お互い争いをそんなに好まないところとか、文化系なところが似ていたので、お互いの持ってるカードを切りあって議論をこねくり回し、最後は冗談を言って終わるパターンが大半だった。
とある日、いつものようにそんな雑談をしている時、なんのことだったか忘れちゃったけど、人間関係に関する哲学的なことの何かだったと思うが(彼と僕はよくそういう類の話をしていた)、その日の彼の論調にはなぜか少しも同意することができず、議論をこねくり回す時間が続いたことがあった。
険悪なわけではないんだけど、僕はちょっと長いなと思い始め、腕を組んで「うーん」とかしか言わなくなっていたのだと思う。

その時に彼が、「腕を組むということは、心を閉ざしていることを表すんだよ」みたいなことを言った。
きっと仏教かなんかの教えの中にそんなエピソードがあるのだと思う。彼は仏教マニアでもあった。
その日その後、その一言で議論は終わり、冗談を言い合った後、彼は愛車で帰宅していった。
なんの変哲も無い、僕の若い日の1日だ。


確かに、受け入れがたい話をされているときは、腕を組んでいることが多い。
「心に言葉を通さないようにしようとするからなんだよ」
「話は頭で理解するんじゃなくて心で聞こうとしていることの表れなんだ」
みたいなことを教えてもらったように記憶している。


最近では腕を組むポーズがくせになってしまってるんじゃないかというくらい、自然と腕を組んでしまってることがおおい。知らず知らずに心を閉ざしてることってあるのかもしれないななんてことをふと思って、このエピソードを思い出した。楽だから組んじゃってることが多いのだけど、そうじゃなくて、つまらない話だなとかやな話だなと思って組んでることもあるように思うから、なるべく組まないようにしたいと思う。心は常にオープンでいたいので。

たまにそう思って、組まないようにするキャンペーンをことがあるんだけど、ついつい徹底されずにキャンペーンが終わることが多い。徹底とか継続は本当に難しい。

組んでる = つまらないなとか嫌だなと思ってる
ではないので、僕が組んでるのを見たからといってどうこうというのは無しでお願いしたい。





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