芸能人
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1990年代にドラマや歌手活動で大きな注目を浴びた女優・裕木奈江さん。
しかしある時期からテレビで見かける機会が激減し、「干された」「姿を消した」と語られるようになりました。
今回は、その「干された説」の背景とそこからの転換について、振り返ります。
モヤ美
裕木奈江さん、知らなかったけどキレイな女優さんね。
牛
令和でも人気になりそうなたぬき顔ね。
裕木さんは、1970年5月12日生まれ。1980年代後半に芸能界入り。
その独特の透明感と控えめな佇まいで注目され、
1990年に映画『曖・昧・Me』でスクリーンデビュー。
その後、1992年のドラマ『北の国から'92巣立ち』でヒロインの恋敵役を演じ、一気に知名度が上昇します。
清楚でミステリアスな雰囲気を持ちながらも、どこか影を感じさせる演技が評価され、歌手としても1990年代前半にシングルをリリースするなど、多方面で活躍しました。
しかし、女優として評価が高まっていたちょうどそのタイミングで、
彼女のキャリアを大きく揺るがす「ある役柄」が登場することになります。
裕木さんのイメージを決定づけた作品が、1993年のドラマ『ポケベルが鳴らなくて』。
彼女が演じたのは、不倫関係に陥ってしまう女性・保坂育未役。
この役柄が、当時の主婦層を中心に「不倫の相手」というイメージで強烈に受け取られ、嫌われ役のイメージが本人にまで重なってしまったという、今では考えられないほど極端な現象が起きました。
当時はネットがない時代。
ワイドショーや雑誌が「嫌われ女優」というレッテルを面白おかしく扱ったことで、印象はどんどん固定化されていきます。
本人は不倫を推奨したわけでもなく、ただ役を演じただけなのに、「役が強すぎると、リアルまで侵食される」という、テレビの怖さが露わになったケースでもあります。
モヤ美
嫌われた理由が理不尽すぎてびっくりだわ。
牛
それだけ演技が上手かったのだとも言えるわ。
しかし裕木さんは、「消えた」わけではありませんでした。
彼女は歌手や女優としてのキャリアを捨てず、2000年代に入ってから海外での活動を模索。
ギリシャ留学などを経て、英語と演劇を学び直しています。
その後、国際的な作品『硫黄島からの手紙』や『インランド・エンパイア』などへの挑戦を通じて、国内だけでなく国外でも活動を継続。
こうした再出発は、かつてのイメージから離れて、自分の実力を再び問う挑戦だったのかもしれません。
そして2018年、23年ぶりに民放連続ドラマ『FINAL CUT』へ出演し、再び注目を集めました。
さらに、2024年の時点でもInstagramで近影を公開し、「昔と変わらない透明感」「あの頃の雰囲気そのまま」といった声が多数。
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多くのファンが「昔からの好き」を再確認するなど、再び光を浴びています。
しかし彼女はそこで諦めず、舞台を海外に移し、女優としての技を磨き直し、再びスクリーンに戻ってきました。
「消えた」と噂されたその裏で、必死に自分の道を模索し続けた...。
それは、ただの芸能ゴシップではなく、女性が社会で生き抜くことの困難さと強さを象徴する物語でもあると思います。
平成から令和へ時代が変わっても、彼女のように「自分らしくあろうとした人」は、きっと誰かの心に残るはずです。
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