AI
人間のコミュニケーションプロトコルの標準化は進むのでしょうね。
AIがいろいろなことをやってくれるようになると、AIを当てはめられるところを作るために徐々にプロセスの整備とメカニズム化は進むはず。そしてプロセスの中でエラーが出るのは人間が担当してるところになるはず。
人系エラーのうち未経験によるイレギュラーケースは学習して、こなれたらAIに引き継ぎするかとになるはず。
残りのエラーは極めて人間味あふれるものだと思うのですが、人間ならではの感情的なエラー、その人特有の特殊な表現ゆえのエラー、とか。
そういうのを起こす人はプロセスがメカニズム化された環境では起用するのが難しくなる気がしてます。そしてだいたいの仕事は多かれ少なかれメカニズム化されるのではないかとも思うので、そうするとその中でインターフェイスしやすいコミュニケーションプロトコルの整った人が生き残る世界になります。
単に一緒に働けないレベルで手前勝手すぎる人、単に仕事ができない、やる気がない人はもちろん早めに淘汰されますが、それは仕方ないかなと思います。だってそもそも一緒に仕事するのやだし。
ただ、メカニズム化がさらに進むと、その許容範囲は狭まっていくのであろうと思われます。
不器用にもがきながら学び成長する未来の若手有能人材はどこにでもいるものですが、そういう人よりコミュニケーションだけ早熟な浅い人材が活躍する世の中になってしまわないかは心配です。
しつこく学んで泥臭くやり切る人ことはしない人材ばかりになってしまうと成り立たない領域ってあるのではないかな。
また、村上龍さんがいうような「才能とは欠落である」というような極端な視点に立つと、芸術分野のそういう不器用な天才の芽も摘んでしまわないかな?という懸念はあって、そうすることが本当に人類にとって良いことなのだろうかな?とは考えてしまいます。
クリエイティブな領域で、不器用な天才が成果を出すという物語はドラマチックですが、そんなにそこまでできる不器用な天才は多くなく、かつドラマになるレベルではもなく、単に活躍の機会が減っていく確率が高い気がします。
前提、僕は効率よく生産性高く仕事をするのは大賛成ですが、真面目に頑張る人が減るのは社会としてよくない方向に行くのではないかなと心配してます。
一方面白いことを考えて生きていきたい欲も強いので、面白い人がたくさんいる世の中であって欲しいとも思います。面白さは人間臭さから出るものも多いので、その辺のところはうまいこと残ってくれないかなあ。
人間がどのように進化するのかは、ちょっとした社会環境の変化によって方向付けられてしまうものだなと思います。今の時代の人間が、より良い未来の形を目指してガイドを設けていければ良いのですが、所詮は生物の進化なのでそんなにコントロールできるものでもないのかもしれません。
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