東京都渋谷区×記憶

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人間が生きているとできるデータ


人間、生きてると色々なデータを発生させるものです。

お金を使うとその動きがカード会社や銀行に。何かを買うと買ったものの履歴がAmazonや楽天に。移動するとどこに行ったかがGoogleMAPに。

そういうインターネット的なものでなくても、喋ったこと、聞いたこと、見たもの、とかは記憶というデータになって残ります。人間の脳なのでそんなに性能は良くないから忘れるので、みんな必死に日記やブログやXに書いて忘れまいとします。

何を隠そう僕は割とその傾向が強くあってデータを収集してしまいがちなんですね。忘れるの恐怖症みたいなところもあって、いろんな証跡を残す傾向が小さい頃からありました。どこか行った時のチケットの切れ端を記念にとか言って持ってたり。ある時、どうせ持ってても見返さないから意味ないよなと思って捨てたのですが、今でも新しい証跡が出るとほんの一瞬ですが捨てるか迷ったりします。

いらなくなった所持品とかもデータだと言えると思います。先日メルカリのプロジェクトXの録画を見てたら、アメリカでメルカリが馴染まない理由が場所が潤沢にあるので売って処分せずに保管できるから、みたいな話が出てきて、ちょっと羨ましいなと思ったものです。場所がないから捨ててしまったり売ってしまったものは結構あるのではないかな。

人間は都合よくできてるもので、ものがなくなると割とそのもののことは忘れるようにできてるのだと思います。過ぎ去ったことをいくら覚えていようとしても薄れて行くのも仕方ないことです。

でもどうしても薄れさせたくないものはこの先どうしたら良いのでしょうかね?僕の脳の記憶領域もいつかはなくなるものなので、そうしたらどこにも残らないことになってしまいます。

みたいなことを考えると、みんなそういうのをなんとかしてやってるんだよなと思い、偉いなあという気持ちになりますよ。無への恐怖と抵抗というテーマがどんどん心の中で大きくなりそうで怖いなと思うこの頃です。





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