日常の出来事/日記
1980年代、アメリカと日本を騒がせた「ロス疑惑」。
ある銃撃事件に端を発したこの事件で、実業家だった三浦和義氏は、妻を失った悲劇の夫から一転、生命保険目的の殺人疑惑をかけられることに。
マスコミの報道のあり方を問うきっかけにもなったロス疑惑についてお伝えします。
hana
「ロス疑惑」って初めて知った事件だけど、スキャンダラスでいかにもマスコミが食いつきそうな事件だね。
ハチ子
黒幕と噂された三浦和義は自殺してしまって、真相は闇の中なのね。
1981年、米国カリフォルニア州ロサンゼルスで発生した殺人事件で、ある女性が銃撃を受けて死亡しました。
被害者の夫で実業家の三浦和義は、悲劇の夫から一転、「保険金殺人の犯人」として疑惑をかけられ、日本のマスメディアはプライバシーを無視した報道合戦を展開。
事件に関わったと証言する三浦の愛人や、別の殺人事件に関わっていたというさらなる疑惑も登場し、報道はさらに過熱していきました。
しかし、一連の事件の真相が明らかになっていないまま、三浦の自殺という形で幕を閉じました。
皮肉にもこの事件では、マスコミの報道姿勢について考えるきっかけをもたらし、当時まだ認知されていなかった「プライバシー」という概念を大きく広めることとなりました。
1981年8月31日、日本人の実業家である三浦和義と彼の妻Aは、ロサンゼルスで旅行中に襲撃を受けました。
Aはホテルの部屋でアジア系の女性に襲われ、頭部を殴られました。(A殴打事件)
さらに約3ヶ月後の11月18日、三浦夫妻はロサンゼルス市内の駐車場で銃撃事件に巻き込まれました。
二人は2人組の男によって銃撃され、Aは頭を撃たれて意識不明の重体となり、三浦自身も足を撃たれ負傷しました。
妻Aは瀕死の状態で日本に移送されたものの、意識が戻ることはなく11月30日に死亡。
しかし事件の背後には、三浦が保険金殺人の犯人ではないかという「ロス疑惑」と呼ばれる疑惑が浮上、日本のマスコミによる報道合戦が始まりました。
特に、1984年に週刊誌『週刊文春』が「疑惑の銃弾」と題した記事を掲載。
三浦が保険金目当てに事件を仕掛けたのではないかと疑念を呼び起こしました。
記事では、三浦が妻に多額の保険金をかけていたことや、事件現場にいた白い車について全く気づかなかったという三浦の供述などが取り上げられ、各マスメディアは「三浦犯人説」を強調する報道を展開しました。
マスコミは疑惑の渦中にあった三浦を格好の餌食にし、今では到底許されない過熱報道を行いました。
三浦の自宅前には連日、テレビのワイドショーや週刊誌・スポーツ新聞などの記者が押し寄せ、一部の報道関係者は不法侵入を行うなど、行き過ぎた行動を取りました。
1985年には、三浦の愛人でポルノ女優だった女性が、A殴打事件で犯行に関与したことを産経新聞上で告白。
愛人は当初匿名だったものの、すぐに実名が報道され、三浦とともに逮捕されることとなりました。
さらに三浦が逮捕された際には、写真週刊誌『Emma』(文藝春秋)がスワッピング・パーティーに参加していた三浦の全裸の写真を無修正で掲載。
文藝春秋社はのちに、わいせつ図画販売の容疑で警視庁から事情聴取されたほか、三浦本人から損害賠償請求訴訟を起こされています。
今よりもプライバシーの概念が浸透していなかった時代で、個人の尊厳を無視した報道が行われてしまいました。
一方、三浦自身もこの騒動の最中に、週刊誌の人生相談に登場したり、後妻との挙式を行ったり、カフェバーをオープンしたりするなど、メディアや世間を煽るような行動をとっていたことも事実です。
1985年、三浦は、愛人と共謀して行ったAへの殺人未遂容疑、そしてAが死亡するに至った銃撃事件での殺人と詐欺容疑で逮捕されました。
A殴打事件では有罪判決が下されましたが、銃撃事件に関しては十分な証拠がなく、無罪が確定。
逮捕から13年間を拘置所または刑務所で過ごしたのち、1998年に出所しましたが、出所から10年が経った2008年、アメリカ領サイパンで殺人容疑で逮捕されました。
日本では無罪が確定したものの、殺人事件の時効がないアメリカでは、まだ事件の捜査は継続中でした。
彼はサイパンからロサンゼルスへの移送を拒み、裁判所での争いが続きましたが、最終的に三浦はロサンゼルスに移送されました。
しかし、移送当日の10月10日、三浦はロサンゼルスの拘置所で首つり自殺を図って死亡。
この自殺についても「他殺説」が浮上し、死に際しても疑惑がつきまとう結果となりました。
ロス疑惑がマスコミや世間に与えた影響は大きく、プライバシー権や報道のあり方を見直すきっかけになりました。
1980年代、新聞各社や出版社をはじめとするマスコミの報道は過熱を極めており、実際に三浦も、住居侵入・郵便物の無断開封・全裸写真の雑誌掲載など、今では考えられない人権侵害を受けていました。
三浦は一連の人権侵害において、マスコミを相手取って数々の損害賠償請求裁判を起こし、世間にプライバシーの概念を浸透させるきっかけを作りました。
三浦の起こした裁判の影響が今日まで残っている例として、容疑者移送時の手錠のモザイクがあげられます。
現在は容疑者を移送する際に手錠が布やモザイクで隠されますが、もともとは三浦が「有罪が確定していない人物を晒し者にする人権侵害だ」と主張し、裁判で認められたことに端を発しています。
今回は、1980年代に起こった「ロス疑惑」についてお届けしました。
世間を騒がせた三浦和義氏は疑惑の中で死亡しており、今も謎は残されたままです。
しかしこの事件が、マスコミのあり方やプライバシーについて考えるきっかけになったことは間違いありません。
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