2002年、北朝鮮の拉致被害者5人が帰国を果たしました。
今回の昭和平成ノスタルジアでは、北朝鮮拉致被害者奪還までの経緯をまとめました。
目次
hana
飛行機のタラップから被害者の方々が降りてくる映像は、今も目に焼き付いているよ。
ハチ子
でも、まだ拉致問題が解決したわけではないのよね。
1953年の建国当初から、武力行使を辞さぬ形で朝鮮半島を統一することを標榜してきた北朝鮮。
休戦した朝鮮戦争からの復興事業を一段落させた後、1960年代に入ると、敵対する韓国に対しての諜報活動を活発化させました。
北朝鮮は直接的な破壊工作も行い、少なくとも1980年代まで工作活動が続けられました。
1977年、北朝鮮の金正日国防委員長(当時)は工作員たちに外国人を誘拐するよう命じ、日本国内では1970年代から1980年代にかけて、北朝鮮による日本人拉致の疑いが浮上しました。
北朝鮮工作員である辛光洙(シン・グァンス)は複数の拉致事件に関与し、その中にはいまだ帰国が叶っていない横田めぐみさんも含まれています。
日本政府は長期にわたって辛光洙の身柄引き渡しを求めてきましたが、北朝鮮側が拉致の事実を認めることはありませんでした。
2002年9月17日の第1回日朝首脳会談において、北朝鮮の金正日国防委員長は、長年否定していた日本人の拉致を初めて認め、謝罪しました。
当時日本政府が認定していた拉致被害者13名のうち4名は生存、8名は死亡、1名は北朝鮮入境が確認できない旨を伝えた一方で、日本側が調査依頼をしていなかった曽我ひとみさんについて拉致を認め、その生存を確認しました。
その上で、関係者の処罰及び再発防止を約束すると同時に、家族の面会及び帰国への便宜を保証すると約束しました。
日本政府が認定した拉致事案は12件、拉致被害者は17人です。
北朝鮮側は、このうち13人(男性6人、女性7人)について、日本人拉致を公式に認めており、5人が日本に帰国しているが、残り12人については「8人死亡、4人は入境せず」と主張しています。
しかし日本政府は「全員が生存しているとの前提で対処する」との立場をとっています。
北朝鮮が拉致を認めた後、日本政府と北朝鮮との間で拉致被害者の帰国交渉が行われました。
2002年から2004年にかけて、5人の拉致被害者とその家族が日本に帰国しました。
彼らは長期にわたる北朝鮮での生活の中で多くの苦難を経験しましたが、家族との再会は喜びに包まれました。
しかし、北朝鮮による賠償はいまだに受けていません。
北朝鮮が拉致を認めた後も、日本政府は未解決の拉致問題の解決を求め続けました。
日本と北朝鮮の間で何度も交渉が行われましたが、進展はなかなか見られませんでした。
しかし、2018年には日朝首脳会談が実現し、拉致問題が再び取り上げられました。
日本の安倍晋三首相(当時)と北朝鮮の金正恩委員長は拉致問題の解決に向けた具体的な協力策を話し合い、交渉の再開を約束しました。
日本政府は引き続き拉致問題の解決に全力を尽くし、拉致被害者の奪還と北朝鮮による真実の公表を求める取り組みが続いています。
しかし、北朝鮮の情勢や国際政治の複雑さなど、解決に向けてはさまざまな課題があります。
拉致問題の解決には時間と努力が必要ですが、日本政府は拉致被害者とその家族のために全力で取り組み続けています。
このように、北朝鮮による日本人拉致問題は長期にわたって続いてきました。
日本政府は被害者の帰国や真実の解明のために努力を続けており、拉致被害者とその家族の再会や奪還を目指して取り組んでいます。
しかし、課題も山積しており、解決には引き続き国内外の協力や交渉が求められています。
慢性的な食糧不足で国民が貧困にあえぐなか、追い討ちをかけるようにコロナウイルスが大流行した北朝鮮。
国内統治もままならない状態では、拉致問題の解決にはもう少し時間がかかってしまいそうです。
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