日本の政治・経済界に大きな衝撃を与えた「リクルート事件」。
多くの政治家や官僚が辞任や失脚に追い込まれることになり、その後の政界の勢力図が一変した歴史に残る大事件です。
ハチ子
リクルート事件で辞職した竹下登元首相といえば、DAIGOさんのおじいさんだね。
hana
DAIGOさんはテレビで、「おじいちゃんが消費税を導入した時にクラスメイトから文句を言われた」という面白いエピソードを語っていたよ。
リクルートは総合人材サービス企業であり、日本最大手の求人広告代理店です。
1960年、当時東京大学の学生だった江副浩正によって創業され、瞬く間に大企業へと成長しました。
人材派遣や人材紹介、アウトソーシングなど多様な人材サービスを提供、さらに住宅情報や自動車情報、旅行情報など、生活情報サービスも提供しており、その事業範囲は多岐にわたります。
美容サロン予約サービス「HotPepper Beauty」、結婚関連情報誌「ゼクシィ」、旅行関連情報誌「じゃらん」、就活サービス「リクナビ 」など、誰もが一度は耳にしたことのある有名サービスを多く手掛けています。
事件当時の1980年代、リクルートは急速に成長し、社会的地位も高まっていた頃でした。
しかし、社長(1988年1月より会長)の江副浩正はさらにリクルートの政治的影響力を高めたいと考え、有力政治家や官僚、通信業界の有力者にリクルート子会社の未公開株を譲渡していました。
事件が発覚したのは1988年6月。
リクルート子会社のコスモス株が、川崎市助役への便宜供与の目的で売却されたことを朝日新聞がスクープしました。
その後の報道によって、中曽根康弘元首相、竹下登元首相、宮澤喜一副総理、安倍晋太郎自民党幹事長、渡辺美智雄自民党政調会長らにもコスモス株が譲渡されていたことが発覚、政界に大きな衝撃を与えることとなりました。
総勢90人を超える政治家がこの株の譲渡を受け、中でも森喜朗は約1億円の売却益を得ていたといわれています。
この事件によって、多くの政治家や官僚が辞任や失脚に追い込まれ、政治やビジネスの世界に大きな影響を与えました。
リクルートの江副会長ら贈賄側と、藤波孝生元官房長官ら収賄側計12人が逮捕され、全員の有罪が確定。
当時の首相で自身も株を受け取っていた竹下登は内閣を総辞職し、後任には宇野宗佑が就任しました。
しかし、竹下登を筆頭に、安倍晋太郎、宮澤喜一、渡辺美智雄ら大物政治家を逮捕することはできず、彼らの秘書が起訴されるにとどまりました。
皮肉にも、リクルート事件は日本の企業経営の在り方や政治との癒着・腐敗を問う社会的な転換点となり、企業のガバナンスや政治家の透明性、倫理観の問題が国民の間で議論される契機となりました。
リクルート事件の影響は以下の通りです。
竹下首相の辞任後、次期首相と目されていた安倍晋太郎、宮澤喜一、渡辺美智雄ら大物政治家は、リクルート事件に関与していたことが明らかになったため首相の座を射止めることはできませんでした。
後任として急遽白羽の矢が立った宇野宗佑は、就任からわずか3日後に女性スキャンダルを週刊誌にすっぱ抜かれ、すぐに窮地に立たされることに。
宇野はわずか69日で首相を退任し、当時58歳と若く爽やかなイメージのあった海部俊樹が後任として首相に就任しました。
しかし、リクルート事件で失墜した自民党への信頼は簡単には回復せず、宮沢喜一政権時には政権交代が起こり、日本新党代表・細川護煕が首相に就任、55年体制の崩壊に繋がりました。
一企業の収賄から、日本を揺るがす大きな事件につながったリクルート事件。
事件後、首謀者だったリクルートは経営危機に陥った時期もありましたが、今や日本を代表する大企業の一つとして復活しています。
55年体制の崩壊とともに一時は権力を失った自民党も、森政権・小泉政権を経てその人気を復活させました。
「歴史は繰り返す」と言いますが、権力を持った彼らがまた同じような事件を起こさないよう、国民が監視していく必要があるかもしれません。
|