1987年1月 1日

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[書評]『愛と幻想のファシズム』/村上龍


#以前、もう10年くらい前にAmazonのレビューで書いた文章をたまたま発見したので、移植。


ハードカバーが1987年に刊行されていて、何かの雑誌の連載小説だったらしいので、書き始めたのは1985年、プラザ合意の頃であろうか?1990年代を舞台とした近未来小説として書かれているが、時間軸で言うとその先に来てしまった現在にいる今読んでもなんら色あせておらず、それどころかある種の預言書なのではないかと思われるほどのリアリティを持つ。

この小説には現在起こっていること、起こりつつあること、起こるはずも無いけど起こってほしいことなど、さまざまなことが書かれている。実世界と比較するとインターネットや携帯電話などの社会インフラの発展により加速した部分や割愛された部分が多々あるのだが、米国によるグローバルスタンダードなど本質的な部分が言い当てられていることを考えると、バブル崩壊以前にこの小説が書かれていたというのはすごいことだ。

僕が小学生だった1985年と35歳になった2008年で比べると世の中はえらく殺伐として無機質なものになっているように感じている。1985 年当時、うちの両親の世代も、彼らの幼少期と1985年を比べて同じようなことを言っていた記憶がある。経済発展、技術発展の先にあるもの、それらが必要とする合理化の先にあるものは、圧倒的に無機質でつるんとしたものなのではないだろうか。人間が地球の表面にこびりついたつぶつぶのようなものだとすれば、無機質でつるんとした地球には人の存在する余地は無い。つるつるにしていく行為は自分たちに対する排斥行為に当たることになる。深読みすればこの小説は、そんな人の世の向かう先すら示唆してしまっているのではないかと感じられる。

上下巻とあり長いですがお時間があればぜひ読んでみて頂きたい。





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